2014年03月26日 18:24
戦争前後の国債増発と今の国債増発では意味が全然違う
3月17日の日経の『景気指標』には、「問われる成長のカタチ」というタイトルで消費増税で景気後退の懸念が述べられている。「(それを)避けるには政府みずから主役に名乗り出て、公共事業を急ぐほかない。」と書かれている。
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なぜこんな時期に消費増税などやるのだろう。国債残高が増えていくことを異常に恐れる人が多いからだ。戦争前後の国債増発を連想し、ハイパーインフレが来るなどと言う。しかし、冷静に考えれば全く逆のことが起きていることが分かる。例えば日銀の政策だ。当時は日銀は金融機関や国民に対して国債を大々的に売っていた。今は全くその逆で、日銀は金融機関等から大量の国債を買っている。その理由は簡単だ。当時はインフレ率が高すぎるから日銀は資金を吸収するために売りオペをやり、今はデフレだから買いオペをやっている。
なぜ戦争前後はインフレだったかと言えば、戦争に費用がかかりすぎて、政府がカネを使いすぎたから。なぜ今はデフレかといえば、政府がカネを使わないからだ。ちなみにOECDの発表でも最近10年間の政府支出の伸びは、OECD諸国の中で日本は最低だ。
当然の事ながら戦前・戦中は軍事費が莫大だった。満州事変、日中戦争、第二次世界大戦と、大国を相手とした戦争を行うためにはとてつもない費用が掛かったことは誰でも理解できる。1945年には700万人の兵士を戦場に送った。軍艦や戦闘機などもどんどん造った。生産を軍事関連に集中したから生活関連物資の生産はおろそかになった。
少しでも多くのカネを軍事費に使おうとする一方で、国民にはできるだけカネを使わないように仕向けた。国民貯金を推進し、政府は日銀に国債を引き受けさせカネを受け取り、日銀はその国債を売って国民のカネを吸収した。「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」と言って節約を強要し、従わない者は「非国民」と言われ迫害を受けた。
国民貯蓄増強として国民の愛国心に訴え、事実上の強制割り当てで貯蓄をさせた。貯蓄組合が貯蓄推進の実行団体となった。厳しい貯蓄目標が出されたが、実際にはその目標を上回るだけの貯蓄があった。欧米の植民地支配からアジアを解放するという大義名分の下、国民が一致団結してしまったのだろう。
インフレになるかデフレになるかは、政府支出の規模で決まると言ってよい。歳出は1934年には21.63億円であったものが、1944年には897.8億円になっている。実に10年間で42倍にもなったのだからインフレになるのは当然だ。一方平成14年度は83.7兆円、平成24年度は100.5兆円だから2割程度しか伸びていない。OECDの統計でもOECD30カ国の中で最低の伸びだ。これは国民に渡るお金の伸びが最低であることを意味し、これでは国民は国際社会の中で貧乏になるばかりで、デフレは止まらない。
日経も景気対策としての公共事業を急げと言いだした。景気は長期的に持続しないと意味が無い。一時的な景気対策でなく、5年又は10年計画で日本をアジアの発展の中心地にするための事業を始めて欲しいものだ。