2014年05月03日 09:58
日本経済の没落のきっかけを作った最初はオイルショック
戦後日本経済は世界を驚かすほどの奇跡の復興をした。日本経済復活の勢いを止めたのが2つの誤解だ。その一つが「インフレは悪い、怖い」ということ、もう一つは「国の借金は悪であり、将来世代へのツケ」という考えだ。インフレなくして経済の拡大はないし、どこの国でもそれを受け入れているのに、なぜ日本だけ異常に怖がるか。国の借金は日銀が買い取れば、将来世代へのツケではなくなるし、そうしても過度なインフレにならないことは、黒田総裁が異次元金融緩和で証明した。
日本経済の最初のつまずきは、1973年と74年のオイルショックよりもたらされた物価の異常な高騰(狂乱物価)だった。その原因は次の3つだ。
①1973年から田中角栄が引き起こした列島改造ブームで地価が急騰していた。
②第一次オイルショックで原油価格の急騰とその便乗値上げ。
③スミソニアン協定で設定された為替水準を維持するためにお金を刷った。
政府は1973年11月総需要抑制策を採り、1973年には公定歩合を9%にまで引き上げ企業の設備投資を抑制する政策を採った。その結果消費は低迷し、大型公共事業の凍結・縮小で1974年には実質成長率がマイナスになった。実質成長率は72年度が8.8%、73年度は8.0%であったことを考えれば、74年度-1.4%にまで落ち込ませてしまったことはやりすぎと言わざるを得ない。
確かに、過度の物価の値上がりは抑えた方がよいしオイルショックによるある程度の景気減速は覚悟すべきだ。しかし、それは供給が需要に追いつかないというデマンド・プル・インフレではない。原油の値上がりという一時的な要因のためコスト・プッシュ・インフレが起きただけであり、放置しても自然に元に戻ったはずだった。異常なまでのインフレ恐怖症が、好調だった経済を徹底的に痛めつけ、高度成長を終わらせてしまった。
失敗の原因は、経済予測が楽観的過ぎたことも原因している。オイルショックで原油価格が約4倍になっただけでなく、トイレットペーパーなどの買い占め、ガソリンスタンドの休日休業、ネオンサインの点灯中止など社会的に大きな影響がでた。実質成長率は1974年の政府見通しで2.5%、日経センター予測で3.7%と急落する予測であったが、実際はマイナス1.4%になった。モデル計算をするのであれば、ここまで厳しい緊縮策でなく、もっと穏やかなソフトランディングできる政策を提案し政府に再考を促すべきではなかったか。
オイル価格の値上がりだけで、日本中に悲観論があふれた。池田内閣で所得倍増計画を立案した下村治までもが今後ゼロ成長が続くと言い始めた。しかし、原油高騰は日本だけではないし、それに対抗して産業の省エネ化が進めばよいだけだった。日本製品の国際競争力は落ちるわけはないし、輸出を伸ばせば十分成長は可能だし内需拡大もできるのだからゼロ成長予測は過度の悲観論だ。結局1960年代の10%を超える実質成長率は無理だったにせよ、5%程度の安定成長に移行した。悲観論が無く、過度の緊縮を行わなかったらもっと高成長が持続したに違いない。
このようにほんの少しの事で、日本は急に悲観的になり、需要を一気に抑えて景気を急減速させてしまうという悪い癖がある。これは日本が克服しなければならない永遠の課題である。